TOP日本のプロレスNoah 2010年代の大会 →Noah:Go vs. Fujita 3/29/20

Noah:Go vs. Fujita 3/29/20の分析


名勝負 なし
好勝負 GHCヘビー級王座戦:潮崎豪(ch)vs.藤田和之(3/29/20)

@GHCヘビー級王座戦:潮崎豪(ch)vs.藤田和之(3/29/20)
 コロナの影響で一度中止になるも
 無観客試合として試合が行われることに。

 その特殊な状況で特別な仕掛け。
 30分の視線の交わしあい。
 まんじりともせず30分の中で動いたのは
 藤田が隣のコーナーに歩いたりと2度ばかりか。
 観客の雑音のない中で、思い切った、を通り越して
 尖がりまくったコンセプトです。

 一方で2人はマイケル・ジャクソンではありません。
 この30分はスーパーボウルの1分45秒ではない。
 相当の勇気がないと出来ないのは確かであるものの
 物理的ストレスはなく、リアルタイムの化学反応は起きていません。

 観客が介入できないという点では小説的です。
 しかし彼らは夢枕獏の小説に比べ凡庸です。
 彼らが行ったのは睨み合いでも視殺戦でもなく見つめ合いでした。
 小説なら心理を描いて見つめ合いに能動的に意味を持たせることができます。
 逆に心理をブラックボックスにして書くこともできます。
 動かずとも汗を滴り落として、
 汗が一滴落ちた音なき音を書ける。
 意図なき意図は排除し純粋に断絶した世界を描けます。
 でも悲しいかな現実では出来ない。

 表情を変化させず、視線を動かさず、身振りを加えなかった
 静の挑戦はどこまでいっても見つめ合いで
 静の表現には辿り着きません。
 この見つめ合いを睨み合いに、
 この見つめ合いを視殺戦にするのは
 その行動でもなく、実況の補足でも足りず
 広大な行間を前に、行間として読む強迫観念に囚われた読み手でしかありません。

 そういう意味では小説としては凡庸でも
 現代アートとしては中々気が利いています。
 カウンターカルチャーとして意義はある。

 一方でこの点においてもベストかと言われるとベストではない。
 小説ではない以上、セコンドのレネが退屈そうでも
 カメラマンが入場ゲート付近をうろついていても構いません。
 背景が多少濁っていても良い。
 ただ少なくとも2人の空間だけは
 純粋で特殊で断絶されていて欲しいと願います。
 そこに異物が混ざりこんで変異を起こすのは
 試合時間経過のコールであって欲しくはなかった。

 30分経過による見つめ合いの終了、
 40分経過による場外乱闘への移行、
 45分経過による場外乱闘の終了、
 50分経過によるクライマックス突入と藤田のスリーパー推し、
 55分経過により潮崎の反撃とラリアット推し。

 試合構成的には間違いなく的確でバランスが取れています。
 しかし、作り手、演者としてクオリティを意識した動機というのは
 いささか現代アートと逆行する向きもある。
 現代アートとしてはいっそ試合時間経過のコールは不要だったかもしれない。
 もっとパッと見、訳が分からなくても良かった。
 でもそれはそれでトレント・アシッドvs.テディ・ハートになってしまう。

 これは少し残念である一方で、
 プロレスのエンターテイメントとしての良心でもあります。
 Noahが生まれ変わったことを印象付けしつつ
 三大メジャーという時代錯誤的でありながら
 何かしらの意味を持つそのポジションを守る、
 土俵際に体を残す絶妙の肌感覚といっても良い。
 2018年からのNoahの流れと
 最近のDDTとのグループ企業化が
 完璧に良い形で齟齬なくミックスされた象徴といっても良い。

 試合の後半30分間はその軌道にのっています。
 30分〜40分のグラウンドは
 藤田が言葉攻めと共に潮崎を藤田の道場の練習生にする、
 印象論を巧みに使いこなしたシーン作りです。

 40分〜45分の場外戦は、最近ではジェリコが使っている
 肉体が追いついていないレスラーが現役との差を埋める
 ハードコア・エンタメの好実例です。

 潮崎のプロレスの理に縛られた疲労表現と
 藤田の相手の技関係なしのリアルな疲労状態との
 対比構築も2010年代プロレスの一つの正解です。

 名勝負ではありませんが、実に意義深く記憶に残る試合で個人的には歓迎する意欲作。
 日本で一定の存在感のあるNoahでこういう試合が生まれると
 日本のプロレスはもっと豊かになる可能性があります。

 ぎりぎり好勝負。

 (執筆日:3/?/20)

注目試合の詳細

なし

試合結果

@GHCヘビー級王座戦:潮崎豪(ch)vs.藤田和之(3/29/20)