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コラム:私+プロレス=世界の始まり


人が生きるために必要なものは3つある。


1つは帰る場所である。多くの場合、家族によってもたらされる。それは離れてみなければ気づかないほど偉大である。茫洋たる社会に放り出されたあなたをいつも黙って迎えてくれるだろう。


2つは慈しみである。赤の他人を結びつける電撃的な引力によってもたらされる。言葉で例えるに易しいが捉えきれぬ概念である。底のない愛という生きる理由は厳しい現実を耐え凌ぐ勇気を与えてくれるだろう。


3つは無為の信心である。それは直接的にしろ間接的にしろ仕事が生み出す感動によってもたらされる。慈しみを個人から社会に拡張させる接続因子である。時に絶望的な世の中において0%ではない可能性は救いを与えてくれるだろう。


ここに私がプロレスを胸に抱く理由がある。十分すぎる理由がある。私にとってプロレスは最後の欠片を司る宗教である。棘の道へ踏み出すためのロザリオである。血肉をかけて人生を学びとっていかなければならないが最初の一歩には確かにプロレスがあった。


神は様々な形で現れる。その名はイエス、アッラー、もしくは仏陀、はたまた宇宙かもしれない。一人一人、その人が認識できる視野の中でその一部を捉え好きな名前で呼ぶだろう。そもそものカレイドスコープ自体、人によって千差万別である。


プロレスは単にその1つにすぎないが私はそれを伝えよう。同じ刻を生きる人に伝えよう。これから出会う人に伝えよう。


人は美しい動物になることができる。

人は自由に想造することができる。

そして人と人は心を通わすことができるのだ、と。


依然として、求めよ、さらば与えられん、は真理である。しかしてこの現代において神は見えにくくなっている。なればこそ私達は道を紡いでいかなければならない。道を歩いていかなければならない。四度生まれ三度死ぬ中でこの世界に何が残せるのか、考えなければならない。


生きるとはおそらくそういうことであろう。

 (執筆日:2/16/13)